楽をする努力

受験に関して、俺が非常によくないと思うのが「がむしゃらに頑張ればいい」という風潮だ。

 

予備校の合格者体験談とか読んでも「朝から晩まで自習室に籠りました」みたいなことを書いてる人が多いけど、それが勉強に対する正しい姿勢だと俺はとても思えないね。


成長するためには、がむしゃらに努力することも必要だ。莫大な時間をかけて訓練を重ねないと得られないものはたくさんある。だけど、がむしゃらに頑張るのは、あらゆる方法を考え抜いて、そうするしかないという結論に至ってからやるべきことだと思う。


その前に、必ず「もっと賢い方法はないか」「楽する方法はないか」を考えるべき。


なぜなら、本当にでかいことを成し遂げようとするとき、「楽をする努力」はどうしても必要だからだ。

 

がむしゃらに色々やってれば成功することなんて結局は「とりあえずやればできる」ことでしかないんだと思う。だけど「やればできるとは限らない」ことだってよくある。だから個人的には「努力は必ず報われる」っていうのはあんまり信じてなくて、ときには失敗に終わる努力だってあると思う。だから、本当に大変なことに挑むときは「自分はどういう努力をすれば、自分の目的を達成できるか」を考えなくちゃならない。

 

精神論、根性論に頼るということは、このプロセスを完全に飛ばすことだと俺は思ってる。ちょっと難しいぐらいのものだったらそれでどうにかなるのかもしれないけど、本当に自分の限界に挑戦しようと思えば、それ以上の力が必要になると思うんだ。


でも追い込まれてるときなかなか「自分はどういう努力をするべきか」まで考えられない。なぜなら「がむしゃらに頑張る」ことより「楽をするために頑張る」ことが大変だから。「楽をする努力」は「がむしゃらな努力」より頭を使う作業だし、「楽をする努力」はそれまで自分のやってきたことを否定することになりから、それだけ自分に対する厳しさも必要だ。


でもそれができない限り、同じところでずっと空回りすることになってしまう。